2021/12/24/16:07
「ありがとう、越中先生」再放送 12月30日・9時~
皆さん、お久しぶりです。いかがお過ごしですか?
(あれれ、レイアウトがうまくいかない、、、読みづらくてすみません!)
早田は6月に職場復帰し、今年後半は仕事と育児とでドタバタな毎日で、あっという間に年末を迎えていた、という感じです。
そんな中でも忘れられない仕事が一つ。越中先生の追悼番組の制作です。
長崎くんちや精霊流しなど、NBCの番組の解説者としてもおなじみだった郷土史家の越中哲也先生が、今年9月末、99年の人生に幕を閉じました。
私は、長崎精霊流しの番組で、2007年から2016年までと、2019年の合わせて11回、ご一緒させていただきました。
2019年には「新 窓をあけて九州」という九州各県で放送される番組でも越中先生を取材させていただきました。
取材中「これまでの人生で一度もこうなりたいと思ったことがない」と仰っていたのが印象に残っています。
その時々に舞い込んだご縁に乗っかるようにして進まれ、先生曰く「大きな綱で引っ張られて歩いたような人生」。
「目標を持ち、それに向かって努力して、夢を叶えることこそ素晴らしい」そんな風潮がある現代、
越中先生の「ご縁を大事にした生き方」を伝えることで、生きづらさを感じている若い方のヒントになればと、番組の構成を考えました。
放送後、先生から頂いたお手紙は、私の宝物です。
先生の100歳のお誕生日に向け、また取材をお願いしようと思っていた矢先の訃報に、ただたださびしく、
「もう一度、先生にくんちを見て頂きたかった!」とどれほど思ったことか。
100歳のニュースを報じることは叶いませんでしたが、先生の追悼番組の制作を務めさせて頂けることになりました。
追悼番組の放送が決まってから実際に放送されるまで2週間ほど。
NBCに残るたくさんの映像を掘り返すと共に、あまり知られていない「郷土史家になる前の越中先生のもう一つの顔」をお伝えすべく、インタビュー取材も行いました。
私は12年前に、そのことについても一度取材させていただいたことがあったのですが、
改めて、関係者に取材したり、昭和20〜30年代の新聞や資料を読み進めたりしました。
20代の時に取材して、知ったような気持ちになっていましたが、全然
取材しながら、編集しながら、先生の懐の深さ、偉大さに、何度もじーんときて涙が出てきました。
それなのに先生は、その凄さを自分では一切語られなかったんです。
12年前の取材時に長時間インタビューしたにもかかわらず、出てきたのは、わずかな思い出だけでした。
「なぁんも、しとらんですよ」
「なぁんも、考えてませんでしたよ」ばかり。
思えば、越中先生は、いつもそうでした。
照れ隠しそれとも謙遜と思っていましたが、晩年に伺ったインタビューをいくつも見返すうちに、本心で仰っていることが、よくわかりました。
先生が多くの人に慕われ、愛された理由の一つは、そこにあったようにも思います。
このブログで事前にお知らせする余裕もありませんでしたが、10月半ば、「ありがとう、越中先生」を無事放送することができました。
越中先生とのご縁をいただけたことに感謝し、先生をお送りする!!そんな思いで制作した、いわば、先生への感謝状的番組です。
越中先生とのご縁をいただけたことに感謝し、先生をお送りする!!そんな思いで制作した、いわば、先生への感謝状的番組です。
その「ありがとう、越中先生」が、再放送されます。
12月30日(木)午前9時~の放送です。
10月の放送を見逃された方、年末に長崎に帰省される方、一度10月にご覧になった方にもまた見ていただけたら嬉しいです。
最後の写真は、取材した際の一コマ。
番組内では数秒間のシーンなのですが、これという角度がなかなか見つからず、想像以上に苦戦。
カメラマン汗だくで撮影してました
「適当に良かですよ」と、越中先生の声が聞こえた気がしましたが、一同、頑張りました(笑)