NBCでの仕事を通して、
専門分野における
熟練の技術と
深い知見を培った
「スペシャリスト」にインタビュー。
古川恵子(ふるかわけいこ)
報道メディア局 専門局次長
長崎市出身 2001年入社
理学部出身の理系大学生で、大学院に行こうか
悩んでいた時、テレビでNBCの募集を見た母親
に勧められ、
試験を受けました。
2001年入社の超就職氷河期でしたが、偶然受かり、
記者としての人生が始まりました。
最初の5年くらいは「華やかなテレビの世界が
向いていない」と泣いてばかりでしたが、
次第にテレビの
仕事は派手なものではなく、
普通の方々と会って話を聞き、その方々が
持っているキラキラしたものを
分けてもらえる仕事だと気づき、
「やれるかもしれない」と
思うようになりました。
出社し、新聞に目を通し、その日デスクに
割り振られたものを元に取材に出て、夕方の
ニュース放送まで
みんなで走る(=やるべき
ことを一生懸命やる)という感じです。
記者の担当は大きく長崎市政、長崎県政、
警察
関係の3つに分かれています。わたしは長崎市政
担当で、被爆者の取材をしています。
特に、毎年8月9日までは特集の企画や取材、
編集などで忙しくしています。
当初(入社時)は、自分が記者になる事を想像も
していなかったのですが、良い先輩方に恵まれ、
「テレビとは何か」や「テレビは人の手で作る
ものなんだ」ということを教えていただきました。
記者は会社の人たちと働くよりも外の人と
接することが多く、そこから学ぶことが非常に
多くあります。
報道の力を必要とする社会的弱者に向き合った時、
自分がどうするかが問われます。
一回取材して
終わりではなく、「知ってしまった現実」に
対して自分ができることを
しようという
積み重ねが大切だと思って
います。
今の自分が100%で
やらないと、取材協力者の
方に会わせる顔がないーー
そう思いながら、日々の
仕事に向き合っています。
長崎は一地方ではありますが、世界史的な意味を
持ち、辛い過去や重い歴史を抱えた土地です。
これまでの記憶や思いを理解して、それを世界に
発信する人がこの土地にいるというのは、とても
大事な
ことです。
長崎で見えたものを伝えることは、弊社含め
県内のメディアに課せられた責任だと思います。
偉大な諸先輩方の指導やノウハウ、思いを受け
継いだ方たちが、社内に多くいて、カメラマン
とも
「このニュースを出す意味は何だろう」と
会話ができる特別な環境です。
報道の意味をみんなで確認しながら仕事できる
環境が、働く喜びにつながっています。
先輩方から受け継いだ意志を、わたし自身も
後輩にぜひつないでいきたいです。
長崎のローカル局ではありますが、長崎だけのこと
を扱っている感覚はほとんどありません。
長崎から全国、ひいては全世界に向けて発信して
いる感覚です。ネットの発展により誰しもが情報
発信の
できる時代になっていますが、これからは
「誰のどの言葉を信じるか」ということが重要に
なってきます。
その点、ローカル局の役割は大きく、言葉に責任を
持つ発信拠点としての可能性が残されています。
ぜひ一緒にやっていきましょう。
村山仁志(むらやまひとし)
佐賀局長 アナウンサー
長崎市出身 1992年入社
アナウンサー、ラジオパーソナリティー、
小説家としての顔も
大学受験の時期、受かった大学で自分の職業を
決めようと思っていたところ、アナウンサーを
多く輩出
している日本大学に合格し、これは
神様がアナウンサーになれと言っているんだろう
なと思いました。
いろいろな局を受けましたが、
最終的には父と母がいる長崎の放送局に行けば
親孝行になるだろうと
思ったこと、加えて長崎で
唯一のラテ局(ラジオもテレビも扱う放送局)
だったことが決め手になり、
入社を決めました。
一番大事なのはリスナーと視聴者だと思って
います。まず重要なのは、ラジオやテレビを
見たり聞いたり
している人たちが楽しんでくれる
かどうか。私たちはエンターテイナーだという
考えが根底にあります。
私はアナウンサーだけでなく報道記者、
ラジオとテレビのディレクター、
ラジオ制作部長、佐賀局長を
務め、
営業に出向くこともあります。アナウンサーで
局長を兼任しているのは、全国探しても私くらい
じゃないでしょうか。キー局のアナウンサーは
アナウンサーしかできませんが、ローカル局では
様々な
経験ができることが魅力ですね。
インターネットの普及によって、ローカルに
いながら、東京や、ひいては世界とつながること
が可能に
なりました。
私は2018年に「ギャラクシー賞」(放送文化に
貢献した優秀なテレビ番組、ラジオ番組、
CM、
報道活動を顕彰する賞)を受賞したのですが、
それもインターネットのおかげでした。
と言うのも、8月9日の平和公園に行き、その場に
集まる方に片っ端から、何の打ち合わせもなく
マイク
を向けるという非常にスリリングな特番を
したのですが、その放送をラジコを通して東京の
審査員が
聞いたことが受賞につながりました。
インターネット時代になり、ローカルでも
がんばっていれば、
全国的な評価を
得られるチャンスが増えました。
今は、個人でも発信ができる時代になっています
が、放送局は、一人ひとりがプロのスタッフが
集まり、
みんなで力を合わせ、制作や発信が
できる場所だと思います。
テレビ放送はインターネットと親和性
が高く、
これからもメディアコンテンツの第一線として
活躍し続けると確信しているので、メディアを
目指す人はぜひ放送局に来てほしいです。
1992年に入社し、ラジオとテレビで、報道・
バラエティ・スポーツ実況・ナレーション・
イベント司会などなど、ありとあらゆる仕事を
経験しました。苦労もしましたが、ラグビー
花園大会の中継も担当するなど、ローカル局の
アナウンサーとしては大変恵まれていたと
思います。しかし3 0 代になると「このまま
人生を終わってもいいのだろうか」と考える
ようになり、地方にいても挑戦できることと
して「小説家」が浮かびました。35 歳のとき、
当時のアナウンス部長に「作家を目指します!」
と宣言して、文学賞への応募を始めました。
小説を書いたのはその時が初めてです。ゼロ
からのスタートにしたかったので、応募用紙
には「会社員・村山仁志」と書きました。
有名な文学賞はどこも激戦で、落選の日々が
続きましたが、運よく学研の新人文学賞で
金賞を受賞し、40歳で作家デビューすることが
出来ました。これまでに9冊を上梓し、このうち
5冊が台湾と韓国で翻訳出版されています。
代表作「午前0時のラジオ局」は文化放送で
ラジオドラマ化されたほか、2度舞台劇になり、
2025年の5月と6月には東京銀座と佐賀で21公演
しました(主演:ふぉ~ゆ~・福田悠太さん)。
現在は、佐賀局長兼アナウンサー
(プラス小説家)として、毎日を楽しく、
忙しく過ごしています。小説の新聞連載や
イラストにも挑戦中です。
ローカルでも作家が出来るネット
文化の発展に感謝しています!
番組制作・報道、アナウンスなど
放送のプロが集結するNBCは、
これまで多数の番組コンクールで入賞。
社内には輝かしい功績をたたえる
トロフィーが飾られています。
『人間神様』(古川恵子ディレクター)
文化庁芸術祭テレビ・ドキュメンタリー部門/優秀賞、
日本民間テレビエンターテインメント番組/最優秀賞、
日本放送文化大賞/準グランプリ、
ダイドードリンコ「日本の祭り」
番組コンクール/グランプリ