長崎ブリックホール開館10周年記念事業「the Passion of Nagasaki」を観た。

今際にいる100歳の老女の走馬灯の中にニートの孫が迷い込み、祖母の、長崎の100年を追体験していく音楽劇で、プロの役者達ではなくオーディションで選ばれた市民役者達が演じる。

今回の音楽劇で音楽制作を手掛けたのが長崎市出身の橋本剛さん。
その劇中歌は時に鎮魂歌(レクイエム)であり、時に希望に満ちた人生の讃歌でもある。
ステージ上で世代を超えた市民役者たちの歌声に子供達の無垢な歌声が重なって聞こえてきた時は目頭が熱くなった。

脚本を手掛けた泊篤志さんは、キリスト教信者の家に生まれた。
今回のストーリーには色濃く、キリスト教的な死生感、宗教感が顔を覗かせる。
長崎の歴史を辿るとき、殉教ということを避けては通れない。江戸時代、明治、そして浦上の丘上空での原始爆弾の炸裂。

100歳の老衰で迎えるいわば自然死も一つの死ならば、原爆で、大水害で、炭鉱事故で、そして暗殺で不意に訪れる死もまた死なのだ。
隣人は死んだ。なぜ自分は生きているのか?生きているのは自分の意思か、それとも神の意思によるものなのか?

今際にいる老女の走馬灯の中で様々な長崎の受難を追体験するなかで孫のニート青年は命の連鎖を見る。そして他者への関わりを拒絶し、自ら作り出した走馬灯の中で自死を選択する。

極度の個人主義が進む今、ヒトはその「生」さえも身勝手に扱い始めているのではないか。
様々な思いが交錯するステージだ。